解決しない問題たち

少し日があきましたね。
最近、ずっと考えていて、解決しないことたち。
なぜ日本人は盾を使わなかったのか?
これは学部時代から考えているけど、イマイチこれといった回答が得られていない。先日先輩と話していたら、「日本人は個人個人が盾をもたず、集団として誰かが盾になってたんじゃないか」という面白い案があった。でも、これ自体は回答にはなっていない。まだ考えられそうだ。
人はなぜ同一性を必要とするのか?
僕は僕。ここにいる僕だけだ。という思考をしばしばするが、なぜ僕は僕だけじゃないとダメなのか。どうも、「僕は僕以外にありえない」という考え方は、不必要な思考を招くような気がしてならない。おそらく、昆虫とか野良犬とか、固有名で呼ばれない動物達は「僕は僕以外にありえない」とか考えてないと思う。極端な話、そんな同一性がなくても生きていけるんじゃないか。唯一の問題は、責任を問えないということがある。もしかしたら社会的存在とは、自らのことを固有名で呼び、そのように存在をとらえることを言うのだろうか?でも、きっと、同一性を捨てたら楽になると思うんだけど。同一性がないと根本的に困ってしまうことはなんなのだろうか。
人は能動的に人(特定の物)を好きになることができるか
僕の直感としては、NO。人は能動的に、つまり好きになろうと思って好きになることはできないと思う。といっても、人を好きになることの価値を別に疑っているわけではない。
英語のlikeや日本語の好むという動詞が、なぜ動詞なのか。ずっと疑問。これも先日後輩が見つけてくれた資料には、「英語のlikeは意志が含まれるが、日本語の好きには意志が含まれない」という。つまり、僕の直感は日本人故なのだろうか。ぜひ欧米人に聞いてみたい。


なお、その人を好きなった理由を答えることが、逆説的に「その人以外の人のことを好きになる」可能性を広げてしまうことについて。
例えば、「Xさんが好きなのは、Aだから(Aは形容詞など、性質を表す言葉)」と答えたとしよう。すると、その人以上にAな人を同時に、その人以上に好きになる可能性を開いてしまう。なぜこのようなことがおこるのか。
それは、人がすべて固有名で呼ばれるからだ。「Xさんを好きなのはAだから」と答えしまうことによって、Xという固有名をAという性質で還元的に記述してしまう。しかし、Xという固有名はあらゆる記述で記述しきることができない。よって、「その人だけを好きな理由」をその人の性質で表現しきることはできないのだ。
つまり、「なぜ好きなのか」と問われれば、「それはXさんだから」としか答えようがないことになってしまう。男性諸君、がんばれ(僕も)。
追記:上記のロジックはあたかも僕が考えたかのように書いてるけど、もちろんそんなわけじゃない。引用を記しておく。
大澤真幸 1998 恋愛の不可能性について 春秋社

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