語りえぬものについては、語り続けねばならない

やや私信。ちょっと、考えることについて考えてみた。
言語の限界が思考の限界であるならば、考えたことはすべて言語にすることができるのだろうか。
考えていることが言葉にならないとは、どういうことだろうか。実は考えられているなら、すでに言葉になっているのではないだろうかと思えてくる。ということは、言葉にならないのは、考えられていないからなのであろうか。
ということは、考えたつもりが考えたことになっていないことがある、ということだろうか。論文とか書いていて(特に筆がすすまないとき)思うのは、結局俺わかってなかった、とか、論理がつながってなかったということ。
あるいは、考えた結果こそが言語にすることができるのであって、考えることそのものは語りえないのかもしれない。考えるとは操作であって、考えた結果(と、その理路)とは異なっているのかもしれない。
余談だが、「論理的に考える」というのはおかしい。我々は論理以外のことを考えることができないのだから。ただ、考えた結果が論理的になっていないことはありうる。余談終わり。
そこで、「考えている」ことは、そもそも言葉なんかにできない気もしてくる。考えていることを語りえないなら、沈黙しなければならないのか。それとも、語り続ければよいのだろうか。

This entry was posted in 研究生活. Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Note: 他の人のコメントに返信したい場合は,[Reply to 名前] のボタンを押してください