いろいろと

ここんとこの、生活。
書類作り。面倒。
風邪ひいた。今は病み上がり。
審査結果が返ってきた。なかなかよい返事。やほーい。
高速教習。まさに手に汗握る。きゃほーい。
もうすぐ合宿。楽しみ。
そんな感じ。


私信への返信。自分で今読み返したら、何言いたいのかよくわかんなかった(笑)。
美しくないことを知った上で、初めて見える世界の美しさ。僕もそのような意味であろうと思います。そこは同意。
そこで、僕がいいなぁと思うのは、美しく「なんか」ない、ていう「なんか」。この意味は、「誰かが(多くの人が)、美しいと思っている」ということを含んでいると思うのです。それはきっと、愛だったり、正義だったり、信念だったり、するんだろう。
でも、そんな美しさは「生」には届かない。美しさを求めたって、生きれるわけじゃない。そして生きている以上、美しくありつづけるなんて、できやしない。
美しいことと、生きること。この対立は生-死という対立とは、また違っているんじゃないかな、というのが僕の感想。いや、もちろん死=美というのは、わかるっちゃあわかるけど。
美しさは、無機質さや、不変/普遍さと関わってるのは、たぶんそう。でも、それは死かといわれれば、それも違う気がして。生と死は確かに対立するけど、僕が重要だなって思うのは発生する力と、ひきつける力の対立っていうのかな。そんなイメージ。生は発生する力、あふれる力。美はひきつけられる力、不変ゆえに吸い込まれるような、そういう力。その意味で、「どっちが強いんだろう」って書いたんだろうな。
ついつい、そういうひきつけられる力(信念、価値、など)がないと、我々は生きられないっていう変な考え方を持ってるんだろうと。その中で、「世界は美しくなんかない」という言葉のもつ意味は魅力的だなぁと。我々はすでに生きていて、すでに動いてて、あふれているんだと。虫とかも、がつがつ生きてるしね。でも、信念によって人々は殺しあってる。
「そしてそれゆえに、美しい」というところの「美しさ」は、生そのものを肯定する意味を持ってるんじゃないかと。「生きようとする意志は何よりも強い」とかなんとか、どっかのるろうにが言ってたような(笑)。
んで、僕から見たキノの魅力は、死と隣りあわせっていうのもあるんだけど、生そのものの肯定っていうか。信念とか全部「かっこ」においといて、とりあえず、生きろと。
我々はついつい、前を見すぎちゃって、でもよく見えなくて、不安になって、いろいろ歩き回ってみるけど、歩いてくれている足を誉めてあげたいねっていう、そんな感じ。

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