お久しぶりです

いろいろモチベーションが下がってるこの頃です。プライベートで(精神的に)忙しかったというのもあります。
近況として、
1.携帯を変えた
2.髪を切った
3.6月になった
4.未だに長袖
という感じでしょうか。僕の周りはどうも半そでが多いように思います。
6月はとりあえず研究に集中しましょうかね。


最近考えるのは、社会心理学における個人-集団、あるいは心-社会という根本的な考え方が、そもそも社会心理学にあってないんじゃないか、ということです。
今から書くことは別に目新しい議論じゃないので、別に読み飛ばしてもらって結構です(すべての記事に該当することですが)。
心という概念は「自分だけが分かる」という意味を含みます。自分の心が覗かれることはない、という前提があるように思えます。まぁそりゃそうですな。逆に言えば他人の心はわからないわけです。
その一方、社会とか集団とか、そういう概念を持ってくると、何かしら心の間に共有されているという前提があります。共有されないような社会って何だって話ですしね。
ここで不思議なのが他人の心はわからない前提なのに、他人と何かを共有しているということを前提を置いているわけです。共有してるかどうかわからないじゃないか、と思うのが自然なような気がします。
これら二つの前提を矛盾なく見る立場に、社会心理学者がいると考えられているようです。しかし、社会心理学者も他人の心を知ることができません。データや数字を使っても、当然そうです。
なんか前提からして矛盾しているように思えます。でも、この矛盾こそが心の不思議なのでしょうか。そんな気もします。だからといって、僕はその矛盾に飛び込む前になんだか踏みとどまってしまいます。
なんてね。

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