申請書の嵐

最近、人の文章ばっかり見ています。
でも、研究のアイディアとか詰まっている文章を読むのは、とっても楽しい。
書いた人の思想とか、欲望とか、いろいろ詰まっている。
そして、僕だったらこうするなっていうのを考えるのはとても頭を使う。
人の関心にたってロジックを組み立てるのは、議論のためのいいトレーニングになる。
そろそろ、自分のことするか。


と、人の文章を読みつつ、実は公理論的現象学のアイディアを進めている。
現象学は論理的にものを考えられるので、言語的センスやボキャブラリーのない僕でも、
なんとか思考を進めることができる。
ちょうど、知り合いの理論論文のコメントを求められていたので、それにあわせて自分なりに整理したりできた。
非常に重要な根本仮設として、「主体は個人である」というのがあると思う。この仮定をおくとコミュニケーションの問題をどのように照らすのか、そしてこの仮定をおかないと、どういう問題がでてきて、どういう問題が解決するのか。このあたりが最近の成果か。
そして、なぜ主体は個人なければならなかったのか、というのも少しずつ見えてきた。
心は、世界を自分のものにするための装置なのかもしれない。

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