不可能性の時代

自分で本の紹介というカテゴリーを設置していたのを忘れるぐらいに、書いてなかったので書いてみる。
今回は大澤真幸の「不可能性の時代」です。

不可能性の時代 (岩波新書 新赤版 (1122)) 不可能性の時代 (岩波新書 新赤版 (1122))
(2008/04)
大沢 真幸

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先輩が読んでいて、オススメされたので早速読んでみました。
現代日本の持つ性質を戦後の日本からの歴史的な背景から分析し、それに対する解決策までが述べられています。大澤の独特な文章のリズムはそのままに、専門書と違って読みやすく工夫されています。これなら大澤が苦手なお子様もおいしく召し上がっていただけるかと思います。
基本は、大澤の「第三者の審級」理論を現代社会の分析に利用し、それ以外にも映画や小説、ゲームまでを巻き込んで鋭い考察を行っています。
ある意味、「社会学って何?」という問に対しての答えになってるんじゃないかと思うほど、徹底的に社会学している本です。しかし、このような社会学は他にないなという感じでもあります。
個人的にはオススメです。新書というあたりも追加点あり。


僕としての不満は、最終的な結論が大澤にしてはやや楽観的な、やや拍子抜けな感じがしました。それは逆に、現代社会の持つ問題が解決困難なものであることを暗示してるのかなとも思いました。
大澤の規範理論で中心的な役割を持つ「必然性―偶有性」という対立項は、非常に重要なツールだなぁと最近思っています。コミュニケーションにおける意味生成や規範における適切性判断に、必然性と偶有性の両義性は不可欠だと思うこの頃。
結局、人生の意味やら、言語の意味やら、それらはすべて「他ではありえない」ことを含む一方、「他でもありうる」という側面もあるわけで。実は意味の生成には両方が必要で、しかしその二つは端的に矛盾する。
生きる意味も、人は「他ではありえない何か」を求める一方、「自分以外でもありえた」という思考に囚われる。しかし、他ではありえない人生なんて、はっきり言って生きる意味がなおさらないように思える。だって、決まっていることをたどる人生なんて楽しくないし。
言語の意味も同じで、ある言葉に必然的な意味があるならば、それはすでに意味なんて問う必要がなくなる。他でもありえる中で、そこで何が意味されているのかが問題とされるからだ。つまり、言語には恣意性があるから意味がありえるといえる。
そんなわけで、必然性と偶有性の矛盾をどう隠蔽しているのか(なかったことにしているのか)が重要なポイントになる。そのあたりについても、大澤は考察しているので是非。

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