忘れたころにやってくる、本の紹介シリーズ。
今回は、なぜかデカルトです。
デカルト―「われ思う」のは誰か (シリーズ・哲学のエッセンス) (2003/05) 斎藤 慶典 |
「哲学のエッセンス」シリーズです。このシリーズは専門の人が書くのではなくて、ちょっと違った専門の人が書くというのがコンセプトみたい。なので、難しくなりすぎず、入門書としてはうってつけです。
デカルトといえば、「われ思う、ゆえにわれあり」ですが、そのことの哲学的意味について考えます。
デカルトはいまや、心身二元論の元凶としてやや嫌われている部分もありますが、彼のコギトにこそ、他者に触れる可能性があるのではないか?というスタンスから書かれています。斉藤慶典は現象学者で、おそらくレヴィナス研究者だと思いますが、デカルトの思索に「他者」を取り込むのも彼ならではの作業だと思います。
また、デカルトにはコギトだけではなく、神の存在証明も有名ですが、その二つがどのように関連しているのかについては、あまり語られることは少ないです。そのあたりについても、筆者なりの考察がされています。それを読むと、むしろ「私があること」と「神が存在すること」は、それぞれ相互に補い合う結論であることがわかります。コギトだけでも、神の存在証明だけでも、デカルトの真意は汲み取れない、と筆者はいうわけです。
もちろん、彼のデカルト読解が正しいかどうかは、知りません。でも、こういう様々な読みができること、そしてそういう読みに親しむことも、哲学の楽しいところだと思います。
2時間あれば、ゆっくり読んでも読了できます。おすすめです。