昨日は、関学で北山忍先生が、文化と脳科学について講演されました。
これでもかというほどのエビデンスをもって、相互協調‐独立的な自己観と脳機能との関連が示されました。おそらくもっと実験結果があるんだと思いますが。
とりあえず、脳の機能について文化差があるのはわかりました。ええ。あるでしょう。
また、北山先生が最近考えている、文化課題理論について話が聞けました。
これまで文化差があるといわれていた、相互協調‐独立的自己観の違いを測定するタスク間に
郡内で相関がない、という現象に対する解決策なんだろうなと思って聞いてました。
要は、相互協調‐独立の価値観は、そのような人になるという課題を人々に課すだろう。そして、そのような課題は文化に様々なものが用意されており、それらすべてを実行する必要はないだろう。むしろ、文化内ではかなりの分散が見られて然りである。なので、個人に多様なタスクで測定しても、それらに相関がでないことはありえる、というわけだ。
なるほど。そんな気もするが、これは統計的にどのように解釈できるだろうか。これについて発表中ひたすら考えていた。で、答えが出ました。
長くなるので下の続きで。
この問題は、非常に典型的な階層的データの特徴によるものです。
相互協調‐独立の文化差は、文化で共有された価値観なわけなので、集団(この場合は文化)レベルでの差なわけです。
一方、個人にたくさんのタスクをさせて、文化内で相関を見るというのは、
個人レベルの相関ということになります。
なので、個人レベルで相関がなかったからといって、これらのタスクが文化で共有
されていないことにならないわけです。
例えば、日本のように学歴が大事な社会では、大学生の教養科目に対する学力は必然的に
高くなることが考えられる。一方、学歴がどうでもいい社会ならば、その社会よりも学力の平均は
低くなるでしょう。
とはいえ、日本のセンター試験のように、日本史を選択したら世界史を選択しなくていい、という
ルールがあれば、日本史を勉強している人は世界史は勉強しなくなるでしょう。
ここで、もし学歴社会の個人だけ集めて、日本史と世界史の学力を測定したとしましょう。
間違いなく、負の相関が出るはずです。
しかし、学歴社会と非学歴社会の日本史と世界史の「平均値」を比較すれば、やっぱり差が出るでしょう。
つまり、個人レベルで負の相関や無相関であっても、集団レベルでは正の相関がでることがあるわけです。
北山先生の文化課題理論は、上記の例とほとんど同じ事を言っています。日本史が得意ならばセンター試験は十分点数が取れるのだから、世界史はやらなくていいというのは、文化で言えば相対的にものを見ることができれば、包括的な認知はそんなに必要ない、というのと関連します。
だからタスク同士の相関を見たってほとんど出ないことはありえるわけです。
じゃあ、文化課題理論は妥当な理論かといえば、まだ早いです。仮に各タスクで文化差があったとしても、文化間レベルでタスクに相関があることが確認されていないからです。相関が確認されていない以上、それらのタスクがまったく別の原理で差が出ている可能性を捨て切れません。
どうすればいいかといえば、日本やアメリカの2つだけではなくて、いろんな文化でひたすら文化課題を測定します。少なくとも30ぐらいは。で、マルチレベル分析で文化間相関を推定すればいいわけです。
もし文化課題理論が妥当なら、文化レベルでは相関が出なければなりません。個人レベルでは別に出る必要はありません。
では、文化レベルで相関が出ないならば、どのように解釈できるでしょうか。それは、単純に文化という共有された価値観によってタスクに差が出ているわけじゃない、という結論が導かれます。それぞれ、別のロジックで説明されるべきでしょう。
文化レベルで相関が出たならば、各タスクは文化に共有された価値観に基づいた課題であり、相互協調的な文化にいる人々は、相でない文化の人々よりも、「平均的に」より相対課題や包括的認知が得意だという解釈になるでしょう。
なので、是非先生には文化間の相関を出せるぐらいの文化に対してタスクを測定して欲しいものです。マルチレベル分析を使うなら、文化数は20~30ぐらいでいいかも。誰かやらないかな。
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