最近、ちょっと考えること。
たぶん、議論され尽くしていることではあるだろうけれど。
適応論では、個体が有効な戦略をとることで適応価をあげ、その結果数が増えることでみんながそのような戦略を取るようになる、と説明する。
でも、「みんながそのような戦略をとる」、ということと「みんながそのような戦略をとらなければならない」ということは、当たり前ではあるが全然違う。戦略をとっている個体は、遺伝であれなんであれ、とりたいからそのような戦略をとっているのだろう。そして、「とらなければならない」という当為は、逆説的に、「とりたくない」が含まれている。
もし適応論で考えるならば、このような社会規範とのジレンマなど、そもそも生じえないではないか。この問題は、共進化という概念を持ってきたって同じことである。
どうも、適応論では社会規範は説明できないのではないか、というシンプルな結論が僕を襲い始めている。まぁ、もともと僕はシステム論者だから、適応論が合わないだけなのかもしれないが。
この問題の解決には何が必要だろうか。考えられる抜け道を挙げてみる。
1.個体は、理想戦略と当為戦略の二つを持っていて、普段は理想(最適化)戦略をとって、状況にあわせて当為戦略を使うように進化する。
2.そもそも、社会規範とのジレンマなんかは存在していない。つまり、いつでも個体はただただ適応戦略を取っているにすぎない。
3.社会そのものが進化していると考える。
さて。1は、ただの思いつきだが、あまりいいアイディアではない。ただ苦し紛れに2つに分けただけではないか。
2は、ちょっと魅力的だが、結局解決になってはいないように思う。このあたりは、自由意志を認めるかどうかという問題ともかかわって、じっくり考察するべき点ではある。もしかしたら、極端な適応論者は自由意志とか社会規範とかは、どうでもいいと思っているのかもしれない。
3はいわゆる社会進化論か。集団様の降臨である。僕が今飛びついていしまいそうな論ではあるが、どうも逃げている気がするのだ。単に説明原理をシフトさせただけのように感じるからだ。でもまぁ、説明できればシフトさせりゃあいいだけなのかもしれないが。
また、社会進化論はルーマン社会学がそうであるように、説明としては非常に有効だが、実践的な意味ではほとんど役に立たないという弱点もある。
社会規範いかにして可能か?という問題は、社会学の根本的な問題であるが、現在の社会学はどこまで説明を与えているのだろうか。最近の社会学の本とかあまり読まないので知らない。
そして、おそらく今の社会心理学のパラダイムでは、この問題は当分解決しないんだろう。それは、別に悪いことでもないんだろうけど。