KSP@京都大学

先週土曜日、KSPに行ってきました。
京都大学の杉万先生の発表でした。
今回はメタ理論の話とかはほとんどなく、先生の実践に向けての研究の話でした。
活動理論という「行動を集団の活動の一部として捉える」理論を看護や原発の問題解決に
応用した一例についていろいろ聞きました。
「説明できる理論から、使える理論へ」というのが僕の中で感じたテーマでした。
いくら行動や心を説明できても、それが使えないと意味がない、というは確かに一理あるもので。
仮に真理なるものがあって、それを垣間見ることができる理論があるなら、それに基づけば人間の行動や心の多くを理解し、予測し、制御することができるでしょう。でも、それらの仮定が成り立たないなら、説明することと、使えることは必ずしもイコールではない。
真理を仮定することによって、われわれは「使える理論は、つまりは説明できる理論である」という立場にたって、研究をしているのでしょう。この点は一度考えなければならない問題です。
その意味で、杉万先生の発表された理論や研究活動は確かに、「使えるもの」であったと思います。それは、「使えるものにする」ために徹底的に考えられ、そして「伝わるようにする」ために徹底的に洗練されているからだと思います。このあたりは、かなり吸収できるところであったと思います。
もちろん、だからといって僕がいきなりそのような研究をするわけではないですが。
何かを理解すること、何かを変えること、何かを伝えること。これらを「科学」や「理論」、「研究」と分けて考えてしまう癖を、今の心理学は持ってしまっているように思ったのでした。

This entry was posted in 研究生活. Bookmark the permalink.