昨日(正確には今日の朝)、はじめてスカイプなるものをやりました。音声チャットですね。結構クリアに音が聞こえるし、そしてマイク内臓だったので手放しで会話ができます。すげぇ。
で、西條さんにこの前送った質問について、話す。質問の内容は「疑い得ないものは、結局何なのか」というもの。あと、そこから派生するいくつかのこと。
こういう話って、メールとか本とかじゃわかんないっていうか、伝わんないなぁって思った。直接話すことによって初めて見えてくる「ズレ」みたいなのがあって、そこを模索しながら議論できるのがいい。
そんなこんなで、2時間半ぐらい話し込んでしまった・・・。基本、メールより電話が好きな僕としてはすごい便利なツールだなぁと思うけど、その分、人に迷惑かけそう・・・。
僕の理解は、根本的な点のズレと一部を除いて、大体あってた模様。そして、(指摘もされたんだけど、)寝る前に自分の問い方が「揺らいでいた」ことに気付く。そこに気付けただけでも大きいかな。
で、昨日の記事で問題にしていた、「論理的整合性だけで価値体系は導けるか」は、やはり、無理っぽい。しかし、っぽいだけでまだ無理だと決まったわけではない。そして、この不可能性っぽさは、構造構成主義を覆すものでもない。その時々にあわせた公理を作っていくという作業によって、いつでも出発できる。
つまり、構造構成主義の論理「だけ」ではダメなのであって、といってもそれ「だけじゃないとダメ」というものでもないのだ。
科学の根本仮説(公理)を作るという作業は、並大抵のことではできない。この問題は、ロジャー・スペリーが言っていた「科学と価値観の優先順位」の話とも大きく関わってくる。スペリーがいうように、人類の進化に根付いたものである必要があるのだろうか。それとも、他の道があるだろうか。
これからの「科学」が楽しみだ。
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