土曜日は対人社会心理学フォーラムでした。
社会的痛みについて、多角的に研究されている成果を発表していただきました。
個人的に興味深かったのは、格差社会とソーシャルキャピタルの話。
いろんなところで格差社会だと騒がれてますが、社会心理学的にどのような影響があるのかは関心があるところでした。
格差は信頼やネットワークを破壊するか?というクエッションについて、先生独自の考え方を交えつつ、データを示しつつ。格差とキャピタルの関連のロジックについて質問したけど、個人的な関心からすれば、やっぱりロジックが個人レベルと社会レベルがごっちゃになってはないか?という気もしました。格差もソーシャルキャピタルも、どちらも社会レベルの構成概念なので、個人という枠組みでの理解では、ずれてしまわないか?ということです。
このような社会レベルの現象について、社会心理学者はどのように考えることができるだろうか。主観的なものに落とし込んでしまっていいものか。悩ましいところではあります。そこにどういうダイナミクスがあるのか、個人-社会を上手く結ぶロジックを我々はまだ手に入れてないんだろうなと。
まぁ、何度も書いているように、心と社会の対立という考え方自体がすでにパラドックスを含んでいる可能性が高いので、すでに袋小路なのかもしれないけど。
ソシオ・ロジック的に考えるならば、格差社会がどういう相互依存構造を生み出すのか、そしてその相互依存構造における適応的な戦略のセットは何になるのか、それを考えないといけないと思う。「格差が一般的信頼を破壊する」という発想は、すでに「一般的信頼はどのようなときも必要である」という仮定に基づくものである。格差構造における適応的な戦略のセットに「移行」するだけであって、別に破壊とかそういう話じゃないかもしれない。
社会構造と規範・ネットワークは、おそらくセットで考えないとダメなんだろうな。どっちかを固定して論理を組み立てると、たぶんまずいことになる。