非常勤の先生方と

飲み会でした。
北浜のフランス料理店に行きました。ものすごい立地条件のいいところにどかってあって、びっくり。料理も美味しかった。
もうここにはかけないようないろんな話が・・・。とても勉強になり(笑)、とても楽しかった。会話の大味感がたまりませんでしたね。
なんだかんだと10時過ぎまで飲んで、解散。後期も楽しくなりそうだ。


最近は、階層間相互作用について少し考える。
心は「私の外部を知ることができないという意味での無限遠」でありながら、「世界に所属する一つの有限的な個体」でもある。つまり、心は宇宙と完全に一致しながらも、小さい地球に落っこちている身体の内部としてもとらえられているわけだ。
この心の二面性・二重性は、論理的に明らかに矛盾する(論理的に矛盾することが絶対悪なのかどうかもわからないが)。これを端的に現すのがアキレスのパラドックスだ。
アキレスの前に亀が歩いている。アキレスはそれを追い越そうとする。ここで2つの考え方ができる。1つは亀のいるところを基準に距離を無限分割する方法。もう一つはニュートン流に普通に速度から追い越す時間を求める方法。このとき、前者だと永遠に追いつけないが、後者だとあっという間に追いつき・追い越す。これは矛盾だ。
この矛盾の背景には、亀を基準とする無限と有限、内在と外延、内部観察と外部観察、超越論的還元と客観的視点、という2項対立がある。それぞれの2項は、論理空間では交われない世界を形成し、どこかで矛盾が起こる。
現象学は超越論的視点に固定することによりこの矛盾を回避したし、アフォーダンスはその逆だ。それはおそらく成功しているし、スマートだ。オートポイエーシスは内部観察と外部観察の両方をモデル化しようとして、深刻な矛盾、「閉じながら開いている」といわざるを得ない状態に到達した。その問題は基礎情報学でとりあえずは回避されたが、根本的には変わっていない。
この矛盾が起こる2つの世界・内部と外部の二重性そのものを考える必要はないか。郡司ペギオ幸夫のやっていることはまさにそのことだ。メルロポンティもそれに気づいていたはずだ。
心と社会の階層間相互作用は、この問題を避けては通れない。人々は心の範囲しか見ることができないが、同時に社会を知ることもできる(気がしている)。この二つのモードは、論理的に矛盾するのだ。素朴につなげてはいけない。矛盾を調停するもの・突破するものを想定しなければならない。それはやはり身体だろうか。ハイデガー的にいえば「気分」だろうか。
社会心理学・グループダイナミクスはこの階層間矛盾を引き受けることができるだろうか。

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